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2010年03月 アーカイブ

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看護学校の思い出

この間、看護学校時代の友人の結婚式に出席しました。

とってもいい結婚式で、ほんとに泣けましたね。

昔は結婚式で泣いたりなんてしなかったんですが、やっぱり年のせいなのかしら。

あのだらしなかった友人が嫁にいった・・・と思うとほんとうに泣けました。

だらしなかった友人ほど泣けますね。

親のような気分なんでしょうか。

今月もひとつ結婚式に出席しますが、やっぱり泣いちゃうのかな・・・親のような気分で。

わたしは結婚していないので、きちんと結婚式を挙げる友人を見るとえらいなぁと感心します。

親孝行ですよね。

ちゃんと子孫繁栄してエライ!!

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看護における「実践」の意味

看護という熟語は、改めて断るまでもなく実践的な意味をもったことばです。

つまり、看護師という助動詞をつけなくとも、看護ということばのなかには実践的な概念が含まれているということです。

こうしたことばは看護だけではありません。

人間の実践に関する用語はすべて同様です。

では実践とはどのようなことをいうのでしょうか。

国語辞典には「自分で実際に行うこと」とあります。

しかし、ただ何かを行うということでは、本当に実践ということをいい表しているようには思われません。

そこで哲学辞典を見てみましょう。

そこには次のような記述があります。

「実践は単に、蜂がその巣を作り、クモがその網をはるという本能的な作業とは異り、意識的、計画的な活動である。

もちろん意識的計画的といっても、それは科学にのっとった理論にしたがって行うものに限られない。

原始人はみずからの経験にもとずき、また、想像をもとにして、意識的計画的に客観世界に働きかけた。

人間のこの働きかけの積重ねをよりどころにして、知識の積重ねが得られ、科学的理論もあらわれ、自然や社会についてそこに作用している法則の認識も得られてくる。

この点で実践は、自然や社会という外的対象に向っての対象的活動であり、この活動のおかげで、周囲の事物についての客観的知識が得られていく。

したがって人間知識の源泉は実践にあり、実践は外界の存在を明らかにし、これに向ってますます適切に対処していけるようにする基本である。

さらにそれは、すでに得た経験やそれの組織されたものである理論に導かれて行われていくので、それ
ら獲得された認識の真・偽を検証するものでもある」と。

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